俺たちのクソゲーな日常は今日も恙なくつまらない

締め切りは人を追い詰める。それは強制スクロールアクションで背後から迫りくる「壁」のようなものだ。締め切りは人を殺しはしない。ただ、追い詰めるだけ。追い詰められた人間はひとりでに焦って自滅していく。死亡サウンドが脳内で鳴る。残機がひとつ減る。ぜんぶ俺が悪い。

悪い調子が続くと、人生に絶望しはじめるからいけない。以下に掲載するのは私が大学で卒論とレポートの締め切りに追い詰められていたときに書きつけた随筆に、無駄に加筆修正を施したものだ。長文注意。

この駄文を読むことが読者の暇つぶしになれば幸いである。

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自分のクズさ加減がコワい。また、する必要のない徹夜をした。動悸が速いのがわかる。目の奥がジクジク焼け付くような疲れを感じ、脱力したが、眠ってしまうことには抵抗があった。

窓の外にある空が明らんでいく。薄暗い室内は、段々と空気の濃度を濃くするように、早朝のくすんだ青に染まっていった。時刻は5時を回っている。しかし、外はまだ不思議と静かで、鳥のさえずりも聞こえなければ、始発の音も聞こえてこない。

毎日毎日こんなことで、一体どうなってしまうのだろう。締め切りが全部かたづいたら、何かあるだろうか。いや、何もないではないか。こうして日の当たらないところで健気にがんばってみたって、それで何が解決するわけでもない。こうして思いつめる回数を重ねても、締め切りをいくつこなしても、その先に幸せを手にできるわけではないのだ。

この世界に本当の幸せなどありはしない。だから、私たちは夢を騙らなければならない。

この締め切りが明けたら、彼女とドライブに行こうと思う。高速に乗って、どこか遠いところまで行こう。ひなびた温泉宿なんかがいい。「一泊二日、美少女完全予約制」シリーズに出てくる感じの、ありふれた温泉宿。

でも、途中でサービスエリアに立ち寄るのも忘れちゃいけないと思う。彼女はなぜかストラップが好きで、土産物屋でご当地ストラップを漁るのは外せないだろうから。季節ではないがソフトクリームを食べたいというのもある。

ああいう場所で食べるソフトクリームというのは、なぜだか妙においしい。食べていると幸せな気分になれる――むかし遊園地に行ったとき、彼女にソフトクリームをベチャッとやられたことを思い出す。彼女もそのときのことを思い出すからか、目の前でソフトクリームを食べてみせると、彼女はくすぐったそうな、変な顔をする。それがおもしろくて、時折これみよがしにソフトクリームを食べて見せるのが趣味みたいになっているのだ。

まあ、もちろんそんなカノジョなんかいないんですけど。いたこともないですけど。てかまず免許を持ってないですし。それでも論理的にはいつかカノジョだってできるかもしれないのだが、何かこう、能動的に「作ってやんぞ!」と思えるほどに現実的なものとは受け止められなくて、むしろ「結婚とか異次元でしょ」って感覚のほうがリアルな感じ。むしろ俺のほうが異次元に迷いこんでしまってるまである。ほんまどこやねんココ。

実際、俺レベルになってくると「なぜ俺にはカノジョがいないのだろう?」などと疑問に思うことはない。むしろあれである。いつかカノジョができた日には「どうしてこの娘は俺なんかと付き合ってくれるんだろう?」と不思議に思ってしまうタイプだ。

欲を言うならば俺だって、中村文則に思い入れがあって、そういうのを密かに読んでるようなメンヘラ女子と、互いの傷口に塩をなすりつけ合うような恋愛をしてみたかった。アルプスの岩塩とかがイイだろう。KALDIなんかに売ってそうな、ちょっとオシャレな感じの紅い塩をミルでガリガリと削りながら、「そら、大丈夫だよ、俺たちだってこんな大人な一時を過ごして好いんだから」と言い聞かせるような、そんな艶っぽい時間を共有してみたかった。

「はーああ……どうしよう」「なんか、メンドくさくなっちゃったよ」

俺氏はメンドくさくなっちゃうと松屋に行く。そこで大盛り牛めしを食べる。食べ終わってからちょっとの間だけ、遠い目をしている。それから何か諦めたような顔(正確には、眉毛。)をして立ち上がり、「ごちそうさまでした」と、たぶん誰にも届いてなさそうな声で言って、店を後にする。その背後から「ありがとう・ございましたぁ」という声が聞こえてくるが、それが自分に言われたものなのか、はたまた、そのときタッチの差で立ち上がった別の客に言われたものなのか、俺氏には分からない。分からないし、どうでもいい。帰って寝るか。と俺氏は思う。

安部公房的なパラダイムシフトが起こればいいと思うのだが、残念ながらこの世界はそんなに想像力豊かじゃない。たかが知れている。

締め切りが明けたところでカノジョができる予定はない。原稿があがる予定もない。ないものなど何一つないようなこの世界だが、それでもないものは所詮ないのである。それははじめからなかったものなのだから。求めることが間違っていたのだ。

だから、本当の幸せなんてあるはずがない。