語ることと映える短歌

映える短歌がちょっと苦手だ。映える短歌。上手いなーと感心することは多いけど。

二軒目で箸の袋を折りながら語ったほうの夢がほんとう

/ 御殿山みなみ

この短歌などは実際とても上手いと思う。うたの日で秀歌だったらしい。なるほど。そういわれるとうたの日映えしそうだ。箸の袋を折りながらそれとないようすで語ってみせた夢こそが本当の夢だというのだが、そういう人なんだなと共感して読める。

文句なしに上手いのだが、ただ、こういう映像の切り取り方は個人的にはちょっと苦手だ。なんだかドラマっぽいというか、この光景の、ちゃんとありそうな雰囲気が、映像としてできすぎている感じがして気恥ずかしくなってしまう。こんな映画みたいなやつ、実際にいるか!?みたいな。いや、実際にいるかどうかはべつにどうでもいいのだが。

映える短歌はそういう作為的なところのあることが多い気がする。わからんけど。たぶん気がするだけだ。

「冷えるな」に「ですね、」で返すつなぎたい手をああわたし手をつなぎたい

/中條茜

だってこんな関係性あります? 「冷えるな」とそっけなく言えるような間柄の相手。しかも「ですね、」と返される。無理だろ。いや、この短歌は上手い。

「地球ってどう回るの」と君の手がひらめく向こう世界は光

/かなめゆき

この「地球ってどう回るの」などはふつうの発話としては詩的すぎる。子どもの発話ならありえるかもしれない。その詩的な雰囲気が魅力ではある。

なんというか、人間はテレビドラマのようには話さないだろうという信念がある。実際には必ずしもそんなことはないし、リアルに起こるドラマみたいな展開にドキドキしたりとかもするのだけれど、まあ、なんというか現実はいかにもドラマのようなシーンの連続ではない。

「ウチのこと好き?」ってお前、居酒屋でなます食ってるときに訊くなよ

/さちこ

だからだろう、こういう短歌をつくったことがあった。これはわりと気に入っているやつだったのだけど、なぜ居酒屋でなますを食べているときに好意を確かめられたくないのか自分でもうまく説明できなかった。でもたぶん、これはあれですよ、居酒屋でなますを食うといういかにも映えない景色のなかでそんなドラマみたいなセリフを口にするなよという意味なんだ。なるほど。すっきりした。

でも、こういうのってかえってあまり受けがよくないという感覚がある。上手いと思う短歌は、わかりやすく映えるものであることがわりと多くて、けれど、そういうふうに映像を切り取ることがリアルなのかはよくわからない。べつにリアルであることを志向する必要があるわけでもないのだが、少なくとも、リアルな映像をただ切り取っただけのものを見せられてもきっとおもしろくないんだろうと思う。そして、それはすこしさびしいことだとも、思う。

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